中央協同組合学園校友会

交流のひろば

谷碧さんに想う

西山 源十郎

 鷹揚でやさしい笑顔、右手をちょっとあげて「やあやあげんきかね」とあの独特のポーズの挨拶は、今はない。
谷碧さんが鬼籍に入って早一年(19.6.14没)が過ぎた。享年95歳、

 私は協同組合学校第21期生で、昭和22年卒業。同年に鳥取県指導農協連合会に就職。当時、昭和20~30年代の東京出張時の宿探しは非常に困難で、苦労をした。結果は同僚の㈱農村時計製作所本社勤務でいた島田新太郎さん(埼玉県出身・協組学校同期生・元リズム時計工業社長)の駒込の自宅に度々押しかけお世話になった。 
 当時谷さんは㈱農村時計製作所の専務で、また母校の大先輩でもあり、島田新太郎さんと会して何度か㈱農村時計工業本社を訪れ、谷さんとの懇談の機会を得られた。
 その折の谷さんの印象は、単刀直入な発言で、当時の復興期における企業経営は特に社員教育等の重要性を熱っぽく語っておられた。企業が社会に何を貢献するか、常に頭に入れて企業経営を指考することが肝要であるなどなど、非常に印象的であった。

 その後、私は昭和34年1月、農林漁業団体職員共済組合(農林年金)の創設・発足で転職上京となり、以来谷さんとのつきあいが重なった。谷さんは産業組合学校第4期生だから、私は17年後輩となる。

 谷さんは産業学校卒業後、同校校友会役員を継続歴任され以来、昭和63年10月森晋さん(産業組合学校1期生・元全購連・全中常務理事・中組学園初代学園長)の後任として、交友会会長に就任された。
 その期の校友会三役に私も加わった。
 当時中組学園を取り巻く環境は、近年の学校教育を巡る環境の激変により、年々入学志望者も減少の一途を辿り、その状況より存続が危惧されていた時期で、谷会長の下に校友会は本科生学校教育は、大正15年4月、産組中央会付属産業組合学校として開設以来、その建学の精神は普遍のまま70年余の歴史を継承し、今日まで多くの人材を組織に送り出し、協同組合運動の発展に貢献を果たしている等より、JA全中に学園改革を強く要請し、全中教育審議会等で検討・協同大学(仮称)の設置審議会まで設置を見たが、昨今の組織を巡る内外の急激な環境条件の変化により、この度、大学科は将来を視野に入れて検討を行うという決定がなされ、第19回JA大会で決議・見送りとなった。

 その後も中組学園の改革・再建について再三の要請を行い、現在の経営マスターコース設置にいたった。
 この間、大変な苦労と努力をされた谷交友会長には、深甚なる敬意を表したい。その後も先年まで校友会顧問を歴任いただいていた。

 谷さんは、北海道の農家に生まれ、昭和5年4月に産業組合中央会付属産業組合学校第4期生として卒業され、全国購買農業協同組合連合会に入会。肥料部に勤務、その後小樽・大阪等転勤し、戦後全国農業会に復帰され、昭和22年に36歳の若さで農村工業部長に就任、同年経営危機に直面していた㈱農村時計製作所の再建のため、同所に転出。幾多の難関と苦労を重ねてこられ、農村時計を閉鎖し、新たに昭和25年現在のリズム時計工業㈱を新設され、労使が情熱と信念をもって身を挺して苦闘にたえ、努力した結果、昭和38年に東京証券取引所第2部に株式を上場。昭和52年には資本金36億円、社員2,500名、売上365億円、経常利益37億円とクロック業界トップとなる大企業へと躍進させたその功績は、著名であり、その経営手腕は高く評価されている。

 谷さんの経営手法は、常に労使協調を基本とし、従業員の労働組合を通じての経営参加、ガラス張りの情報公開を基調とした経営理念を確立し、堅持されてきたことにある。
 また他面で谷さんは埼玉県地方労働委員会の使用者側委員を33年間勤められた。それらの業績で、昭和50年11月藍綬褒章を、昭和56年11月勳三等瑞宝章を受賞されている。

 谷さんは本来協同組合運動の生粋の先達者でもあった。
 北海道の中農の三男で、祖父や父親は共に地元の産業組合長だった関係より、北大農学部に入って農業の勉強をするつもりだったが、父親が組合運動を引き継がせたかったため、父親の進めで産業組合学校に入ったと谷さんは語っておられた。

 このようなことから、半生は時計会社の経営であったにもかかわらず、農協・中央機関の関連企業などOBや幹部役職員の組織である「農協愛友会」の会長・顧問、また協同組合懇話会幹事なども歴任された。前期の中組学園校友会会長・顧問として、協同組合学校教育の字充実強化発展を常に主張されてきた。

 谷さんは、高尾の学園等でも在学生に「特別講義」を何回か催された。谷さんの体験より熱のこもった経営理念講義は非常に好評であった。
 受講生は永遠に谷さんの情熱あふれる講義は脳裏から離れないだろう。
 また、谷さんの人脈の広いのには全く驚く。時計業界・農協界等はもちろん、政財界大学教授から芸能界(講談師神田松裡講演会会長)までと面倒みのよい人柄でもあった。
 その性もあって、多くの著名人も紹介されて恩恵に浴したことも忘れがたい想いである。
 平成14年2月8日、JAマスターコース生の特別講義が谷さん最後の講義となった。

抄【特別講義レジュメより】
タイトル「わが半生~時計会社再建の道」
私の人生観(企業経営理念)~農協運動と一般企業の中から体得したもの~
1.昭和22年、どうして農協界から時計業界に移ったのか ㈱農村時計製作所とは
2.深刻な厳しい経営危機をどのようにして切り抜けたのか
昭和25年~52年の間の農村時計閉鎖・リズム時計工業会社の新設などなどの項は略
3.飛躍的発展の理由
高度経済成長に支えられた労使が情熱と信念を持って身を挺して苦闘に耐え努力したことにある。
4.どんな経営手法をとったか
全員参加の経営(労組を通じての参加、ガラス張りの情報公開)
労使が経営理念を確立し、堅持した
5.経営理念(経営基本方針)と社訓(社員の合言葉)の制定

理念
・社会に奉仕する
・わが社の継続的発展を図る
・社員の生活向上を図る
・株主・金融機関・取引先等の共栄を図る
若い諸君に期待するもの

 社訓(リズム時計社員の合言葉)
・質実剛健
・科学的合理性に徹しよう
・明朗・協調

 予想されるこれからの厳しい環境の中で、本学園で学んだことを誇りとして、農協運動に邁進してほしい。
 実にすばらしい大先輩、谷碧さんの面影は、永遠に忘れることはない。 
こころよりご冥福をお祈りいたします。

<第21期卒>