四国八十八ヶ所遍路大使
短大5期卒 町田重光
20年5月20日四国霊場88番大窪寺を打ち終え、「四国八十八ヶ所遍路大使」に任命されました。
途中48番西林寺の時は校友会愛媛県支部長で短大5期の同期の竹村章さん宅に泊めてもらいました。実はその前に、23番薬王寺を打ち終えた後、今治シティマラソンを走った際も松山で会い、ご馳走してもらっています。今回のお遍路で2度もお世話になりました。ほんとうにありがとうございました。
県信連は定年退職しましたが、家のまわりは田んぼで、農業は現役で忙しく働いているそうです。忙しさの間を縫ってのゴルフも忙しく、シングルの腕を証明するトロフィーが飾りきれないくらい部屋にありました。(写真は48番西林寺でのものです。)
以下のエッセイは、昨年末時点のものですが、歩き遍路を始めた動機など書いてありますので、ご一読いただければと思います。
歩き遍路とマラソンの記
平成19年9月27日、白衣を身にまとい、菅笠をかぶり、弘法大師の分身としてのお杖を手に、四国霊場1番霊山寺から歩き遍路とマラソンの旅のスタートを切った。
第1ラウンドは23番薬王寺までの遍路と今治シティマラソン。一旦帰宅しての第2ラウンドは、26番金剛頂寺までの遍路と室戸岬健康マラソン、さらに36番青龍寺まで遍路を続け、阿波吉野川マラソン。そして、第3ラウンド、40番観自在寺までの遍路と山口・萩城下町マラソン。これらの大会を完走すれば、私の47都道府県マラソン大会完走の旅は終わる。
途中で出会った歩き遍路の人の話を聞くと、奥様を亡くされた人、ご主人をなくされた人、縁のあった何人もの故人を思いながらの人、もう一度自分を見つめ直すためという若者、何かを見つけようとする女流作家、先達になったばかりの若い女性など、ひとりひとり強い思いを持って歩いているのがわかった。
私はどうか。趣味で走っているマラソン大会で、まだ走っていない愛媛、高知、徳島の大会が10月にあり、私を誘っている。それなら、いっそのこと歩き遍路もやってみようかというのが動機の大半だった。つまり、お遍路への思いが全てでは無かったのである。しかし、仮に歩く前、遍路50・マラソン50であったとすれば、40番まで歩いた今では、遍路80・マラソン20くらいのことにはなっていると思う。
それは、パンやみかんや五百円玉などの「お接待」を受けたり、道に迷った時、あるいは間違えたのを知らずに歩いていた時に親切に声をかけてもらったり、行き交う人がていねいに挨拶してくれ、宿で食事の時に一緒になった人たちと話をしたことなどによる。
今にして思えば、あまりにも安易に計画したものだと思う。年間3千人と言われる歩き遍路の人で、マラソンとセットの人がいるのだろうか。30年前に兵庫県・宝塚市の大会を走ったのが始まりで、あちこちの大会に参加しているうちに、47都道府県を走ってみようと思い始めた。そして、残りが4県となって、その4県の大会に参加するには、4往復分の旅費が掛かる。それなら、以前からちらちらと思っていた四国遍路とセットすれば、費用と時間が節約でき合理的であると考えたのである。その時は、お遍路で歩くことが、マラソン大会にどれほど影響するのか、あまり深く考えなかった。むしろトレーニング効果があるはずとプラスに考えていたくらいだ。
ところが、一日歩いただけでその影響の大きさを思い知らされた。お遍路にマメ対策は不可欠という予備知識に基づき、テーピングはしたのだが、しなかったところに大きなマメが出来てしまった。シューズのこと、ソックスのこと、荷物のことなど全てが反省材料となった。足の痛みをこらえながら歩いたが、薬王寺を打ち終え、すぐ近くのホテルに着いた時は、部屋の中を歩くことさえままならなかった。
翌日の金曜日、特急を乗り継いで今治に行く。この日は、一日ゆっくりと足を休めた。そして、土曜日、宅急便で宿に送ってあったマラソンシューズを履いてみると足の感触が全く違う。これなら走れるかも知れないと今治城まで歩いて行き、お堀端をゆっくりと走ってみた。大丈夫だ。今更ながらシューズの機能性の違いを実感した。日曜日の今治シティマラソン(ハーフ)は、2時間を切ることは出来なかったが無事完走することが出来た。
第2ラウンドでは、海と山を眺めながら岬を巡る室戸岬ハーフマラソンと川から海へと吉野川堤を往復する阿波吉野川マラソン(20Km)を楽しく走った。
第3ラウンドでは、紅葉の残る山道を観自在寺まで歩き、翌日、岡山・博多経由で最後の県、山口に行く。12月8日、マラソン47番・萩城下町マラソン(ハーフ)は、歩き遍路効果の体重3Kg減のおかげで2時間を切って走り有終の美を飾ることが出来た。
さらに、12月23日、宝塚大劇場前からスタートするマラソン1番・宝塚シティマラソン(ハーフ)を走り、「マラソン大会お遍路」の「循環」を完成した。
四国八十八カ所の遍路は、年明け後、春と夏に残りを歩き、1番霊山寺にお礼参りをして「循環」を完成させたい。
人生に「循環」はない。待っているのはゴールだけだ。だから、人は自問自答しながら「循環」のある四国遍路をするのかも知れない。