母校同窓生等の御尽力に支えられた、出向時期の懐かしき思い出
学園2期 竹内 克臣
母校在学生なら、誰もが入学試験日までに、(1)地元JAの組合長と、(2)出身県JA中央会会長の双方から、卒業後の採用確約状の執筆を仰ぎ、事前に入手して試験日当日の朝一番、受付係員に提出するように義務づけられていたので、本来なら卒業年度の中途には、各自、就職先が確定していて当然[注]だが、そうした気配がなかった私に対し、一部恩師から“全国連”受験を推奨された。
[注]同期の中には、先に就職してから母校に入学した者も幾名か、いた様子で、彼ら在学期間中は、各々の就職先から所定の給与(初任給?)を受給していたらしい。
しかし、3年制の母校で学んだ“一般教養範囲”は、4年制大学の1・2年目に学ぶそれとは乖離あり、レベルも低かったようにも感じ取れたので、入社・入会試験の“筆記試験”はかなり難しく感じた。とはいえ、IQ(知能試験)を卒なくこなしさすれば、一挙に挽回できなくもないと、ひたすら、数多く解いたように想う。
その甲斐あって、採用予定者数12名に対し、20倍以上の希望者が一堂に参集しての入会試験で、見事合格できたのは、真に幸運としか表現できない出来事だった。
就職した全共連では、途中、大病を患った一時期もあったが、無事、定年退職時期まで勤務することができた。
退職数年前の平成18・19年度は、関連会社で自主研究テーマ『JAにおける共済事業計画の構成要素』を見極めるに際し、実態確認作業に全力を費やした。
研究する組織が、出向前の「全共連全国本部」だったなら、配下の都道府県本部に支援を仰ぎ、各本部から1乃至は2ずつ、あるいはそれ以上のJA数を調査対象先に指定可能で、実態情報を、如何様にも収集できたであろうが、関連会社に出向の身であったため、同様の依頼手段は採用できず、研究者自身が、自分に具わった裁量を活かして対処するほかなかったからである。
私の場合、幸いにも出身母校がJA全中で創設し、いま在るJA全国教育センターの前身「中央協同組合学園」だっただけか、過去、勤務してきた職場で御指導・御鞭撻いただいた上司のうち、幾名は出身地にUターンして地元JAの役員として活躍されていたので、彼らの御支援を頼りに、全国6地区から2〜4ずつ、計18の広域JAを選択してくことを目安に据え、候補先JAへの説得折衝を、
(1)卒業していた母校の先輩・同期・後輩諸氏、
(2)勤務中にお世話になった諸先輩、
(3)自らが締結している共済契約先JA
に仰ぐほかなく、総てを具現できたことは、いまも記憶に残る“懐かしき思い出”である。
御支援を頼れた方々は、
- 勤務先OBで、当時、候補先JA理事に就任中だった方が2名(山梨県在住、長野県在住)、
- 私個人の共済契約締結先JAの支店次長が1名(埼玉県在住)、
- 母校先輩1期が6名(岩手県出身、宮城県出身、愛知県出身、京都府出身、鳥取県出身、佐賀県出身)、
- 母校県出身2期同期が5名(北海道出身、新潟県出身、兵庫県出身、和歌山県出身、広島県出身)、
- 母校後輩が5名(青森県出身14期、石川県出身18期、三重県出身6期、岡山県出身7期、宮崎県出身3期)
のトータル19名だが、うち1名所属のJAで許容いただけなかったのは、些か残念で、いまも悔いある。
計18JAから快諾いただくに際し、とりわけ、“三重県出身6期”の後輩は、注目に値する。
私が新入職員だった当時の秋、三重県共済連と、管下・一志(イチシ)町農協=現在は、広域JA三重中央の一志支店=に現地研修に赴いたとき、ひと晩だけ御世話いただいた農家御主人[注]が高校3年生を迎えられたご長男の進路に悩んでおられたことを小耳に挟み、我が母校(学園)への進学をお奨めし、地元農協を通じた“関係資料の入手”を口に挟んでいたことを思い出し、当時の対象者が、協力を仰いだ1人の“当事者”だったことに気づき、当時は何も話せなかったことが、今更ながらの“反省”に値するか・・。
[注]同氏とは、つい最近までの40年以上、年賀状で近況報告を交換し合った。
また、その他後輩のうち、
(1) 青森県出身14期は、かつて一時期、全共連に勤務されていたため記憶に残っていたうえ、
(2) 宮崎県出身3期も、修学期間のうち2年間、寝食を共にしていただけか、同一系統の仕事先(現在の、JA共済連宮崎県本部)に勤務されてたよしみに頼れたものの・・・
ほか2名の後輩とは、過去に一度も面識がなかったので、期待薄ではあったが、双方ともに御尽力いただけたことは、後輩諸氏のモットー≪信念≫が、常に“母校卒の同窓生”からの頼み事を重んじてもらえる姿勢だったのか?(真に、感謝の念に絶えない。)
[参考情報]
各JAで樹立された共済事業計画の、過去の構成要素は、「普及推進機能」と「健康福祉機能」が 主体で、「既契約保全機能」と「事故処理支援機能」は総じて手薄であった=JA共済連が、配下JAむけに提起した記載例には盛られていたが・・・。
(今回研究結果を意識されてか、)近年は、現在の共済事業計画の構成要素は、JAで担う共済事業機能の殆どの分野にまで拡張されたところが徐々に増えつつある感もする≪全国連等で、確認も必要と思える≫。